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防空壕の歌 [メモ]

 晩ご飯を終えてから、年寄り・その1が歌を聞かせてくれた。戦時中に隣の家の幼稚園くらいの男の子がいつも歌ってた歌らしい。


空襲警報、発令でたら
今だ!僕たち小さいから、
大人の言うことよく聞いて
慌てない、騒がない、落ち着いて、
入っていましょう、防空壕。


書き留めたばかりなので、もしかして検索すると何か出てくるのかもしれないが。
たぶん戦時中にはこんな歌がたくさん作られたのでしょう。
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贅沢 [メモ]

私にとって贅沢なこと

自分の記憶に残ること。
非日常。
高揚感を伴う。平穏である。
五感が研ぎ澄まされる。
感動。

アッシジで見た風景。サンピエロ大聖堂のクーポラの上からの眺め。フィレンツェのあちこちの美術館。ローマの教会。リスト音楽院のロビーの空気。
O先生の別荘で借りたお風呂和服で迎えた正月。図書館の本の匂い。初めて彩色写本を見た時の感動。美味しいものを食べて、その記憶が褪せない時。

普段、手に入らないと思ってたものに触れた時間。お金で高価なものを買うことではない。物そのものではなく記憶。空間。

普段は「贅沢」という言葉を「散財」とある種の同義語として使ってるのではないか。
物の消費と贅沢は私の中ではストレートには結び付かない。
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レクイエム・メモ1 [メモ]

続唱のDies iraeが使われなくなったのは第2バチカン公会議以降というのは知っていたが、それはいつからなのか。どこに書いてあるのか、新カトリック大辞典によると1969年のOrdo Exsequiarumらしいけれど。その日本語訳はあるのか。それ以降の日本語の葬儀ミサ次第にその解説は載ってるのか。これの元になるのは典礼憲章50なのだろうか。

典礼憲章22の典礼の規制権のところに典礼の規制は使徒座に、法の規定で司教にあるとなっている。さらに§3に「したがって、他の何人も、たとい、司祭であっても、自分の考えで、典礼に何かを付け加え、除去し、変化してはならない」とあった。なるほどね。

中世の典礼と聖歌のメモ [メモ]

・助祭や副助祭を伴わない読唱ミサは600年までに普通になっていた。
ローマ式の聖歌はメッツのクロデガング(715-66)により北方に運ばれフランクに入った・・・フランク的付加事項が加わってアーヘンの宮廷の小聖堂での典礼の基礎となり・・・1000年頃にローマに伝わって、それが全カトリック世界へ
・聖週間の最後の3日はローマ式典礼に結晶する非常に古い慣習の核を含んでいる。
・5,6世紀にはローマの秘跡書と読唱集の編纂が行われた。
・7世紀には定時課に交唱聖歌や答唱を作詞。
・殉教者の祝日が聖遺物とともにローマの諸教会に入ったときそれぞれの殉教者のための〈聖務日課〉が一緒に入ってきた。
・ローマ式聖務日課は数世紀間、聖歌を欠いていた。
・カロリング・ルネサンスの時代に、古典文学の抒情詩の韻律のいくつかで作られた聖歌が入ってきた。
・ローマ式典礼は13世紀の終わりまでは、聖歌を含まなかったにもかかわらず、聖歌は1000年までにほぼいたるところにいきわたった
・死者のための聖務日課は純粋に8世紀ローマの創造。葬儀通夜として始まり、それとは別な聖務日課として急速に広まった。

M.D.ノウルズ『キリスト教史3 中世キリスト教の成立』 306~316ページ

聖土曜日の典礼とはどんなものなのか?

聖歌の歌詞 [メモ]

「天よつゆをしたたらせ」
雲、大地・・・なんのシンボルなのか。
どうして雲から正義が降ってくるのか。
手元の事典には「雲」は天上世界を表す、とあるがそれでいいのか。
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